HumanDelight株式会社 野田万起子

あ

Human Delight株式会社 代表取締役社長
インクグロウ株式会社 取締役会長
野田 万起子 (のだ まきこ)

一般社団法人日本展示会協会 理事(女性の活躍推進委員会 委員長)
国立大学法人静岡大学経営協議会委員
静岡市創生会議委員

【経歴紹介】
1970年 静岡県静岡市生まれ A型
東京国際大学 経済学部 国際経済学科卒、米国オレゴン州TIUアメリカ校(WILLAMETTE大学内)卒後、1993年株式会社ベンチャー・リンク入社(2001年東証一部上場)、2010年同社取締役に就任。2011年に同グループよりMBOによる独立しインクグロウ代表取締役社長就任。その後、同社取締役会長となり2010年に静岡に設立したHuman Delight株式会社の代表取締役を務める。
金融業界分野で20年以上、全国の地域金融機関への支援業務に携わる。地域金融機関と共に、中小企業の活性化に向けたビジネスマッチングの取り組みを中心に、取引先の経営相談から、金融機関の職員研修など幅広く行う。近年では、一般社団法人日本展示会協会の初の女性理事として、女性の活躍推進委員会の委員長をつとめ女性の活躍の機会を積極的に広げている。

【プロフィール】
3人兄弟の長女に生まれる。
両親は共働きでしたが、祖母が母の子育てを手伝い、不自由なく高校までは地元静岡で育ちました。母は3人の子供に恵まれながらも、40年間公務員として仕事をしてきました。その母の影響からか、幼少時より「仕事は一生続けるもの」という仕事観・人生観が醸成されていたように思います。
地方の特徴ですが、大学進学は東京を選び、そのまま東京の会社に就職をすることになります。そして、28歳で結婚、翌年に長男を出産するも、仕事を続けることは当たり前となっていました。ところが現実は甘くはなく、子育てをしながらの仕事は大変で周囲の協力なくしては続けられなかったと思います。
今思えば、当時の会社の考え方(男女平等、家族第一主義のかなり先進的な会社でした)、上司の理解、同僚のサポート、そして何よりも家族の協力と支援があり、好きなことをやらせて頂いてきたと感謝しかありません。いつしか、多くの女性の部下から、仕事の仕方やライフプランについて相談を受けるようになり、ある意味「女性が仕事を続けて行くお手本」のようなポジションになっていきました。勿論、人ぞれぞれの考え方、環境がありますので、お手本はあくまでも「一例」にしか過ぎないのですが、時代と共に女性の仕事観が変化する中で、私の生き方を参考にしてくれた女性は多かったように思います。現在は、息子も高校生となり自立していきました。そのタイミングで、新たな会社の創業期を迎えています。私は、男性・女性に関係なく、人として社会に貢献できる仕事を続けて行くことは、この資本主義日本に必要不可欠なことと考えます。ただし前述をしたように、人それぞれに考え方や環境が違います。それ故に、皆さんが思い信じる道を切り開く為のお手伝いが微力ながらできれば幸いに存じます。


社長の周りにはいわゆる「似非社長」と言われる方はいますか?

まず、「経営者」というのは実業をきちんとやっているかどうかだと思います。
いかに社会に貢献しているか、いかに志をもってやっているのか、という経営者を私は大変尊敬しています。ありがたくも、同じ志をもった方々が必然的に集まってこられるので「実業で社会の課題を解決する事業は何か」を常に語り合っています。

ビジネスの世界は甘いものではありません。真剣に考え構想し、身を削って取り組まないと成功というものは得られないと思います。
組織のトップでも、企業のトップでも上に立つというのは、ある意味「成功者」であります。経済的にも社会のステータス的にも。

ただ、それなりの覚悟がなければそのポジションにはたどりつけません。
成功して見える一方で、その裏にはものすごく泥臭い、ドロドロした血反吐を吐くようなことを経験されての今であると思うのです。
もし、そういう立場まで上り詰めたいのであれば、相当に厳しい現実があるということを分かったうえで挑戦してほしいなと思います。

それが本当の成功であるのか否かは正直わからないです。なぜなら、それは人ぞれぞれの価値観が決めることだからです。
厳しくても苦しくても経済的に豊かでなくとも、それでも頑張れるは、志の高さや強い思いに導かれるものだと思うのです。

IMG_1021

今に至るまでにたくさんのご経験をされてきたと思うのですが
なぜ「起業」という道を選ばれたのでしょうか?

私が就職活動をしていた頃は「男女雇用機会均等法」が施行されて7年が経っていましたが、まだまだ殆どの業界はいわゆる男尊女卑が当たり前だった思います。
例えば金融機関では新入社員で就職したとしても女性は一般職で3年窓口業務をやって、それから総合職に換われるという世界でした。
そういう現状に幻滅していたところ、当時創業6年のベンチャー企業に出会いました。
その創業者の話を聞くうちに「この会社で、この経営者の下で色々なことを勉強したい」と思い、内定をもらっていた上場企業を傍目に飛び込んでしまいました。今考えると、それが私にとって「仕事観」を変えるものであったと思います。

私は、両親がサラリーマンと公務員という共働きの家庭で育ちました。両親はそれぞれ違う仕事をしていましたが、家ではお互いの仕事を尊重し職場での色々な話をしていたのをよく覚えています。そういう経緯があったことが影響していると思いますが、「生涯のパートナー」は人生も仕事もパートナーとなれることに憧れをもっていました。それで、経営者と結婚したいと思っていて、そのためには経営の勉強が必要だと考えていたのでしょうね。就職時に金融機関を受けていたのは、経営の勉強ができると思っていたのですが、当時の環境は私にとっては前述したとおりクエッションだらけでした。それ故に、ベンチャー企業に飛び込んでしまったのだと思います。

その企業と一緒に成長していく中で、会社は創業9年目で店頭公開、15年目に東証一部上場を果たし、私は上場企業の役員という立場を経験させていただきました。その後、上場グループからのMBOをしました。
その経緯は壮絶なものがありましたが、自分が起業するとか、社長になるという準備が全くできていない状況でだったのでとにかくもう必死でした。当時、周囲の皆さんに「なんで貴方がやるのか」と聞かれましたが、当時の私には使命感しかありませんでした。それから、その時に一緒にやっていこうという仲間がいなかったら今の私はないと思います。なんとか歯を食いしばって、3年ほどでようやく落ち着いて、5年目になった頃、独立した会社を現社長に任せ、私は一から今のヒューマンデライトを稼働させることとなりました。これが私の本当の「起業」になったのです。


1人の人生の中でものすごく濃厚な人生であると思うのですが
全ての大きな決断の中、先に進むことができたのはなぜでしょう?

男性でも女性でも同じことですが、自分の人生の中で守らないといけないものが出てきます。ただ、事業においての私の信条は「守りに入らない」ということです。ただ、これには大変なリスクも伴います。犠牲になるものも多くなってしまうから、後悔しない選択は自分自身でしないとなりません。

人間は、様々な経験をしていくことにより欲求水準が変化していきますよね。
それはお金とか名誉とかじゃなくて「自己実現」の世界なのではないかと思います。
ビジネスになるわけではないけど「これは私がやらなければならない」というような使命感みたいなものです。この使命感というのが、自分を前に進める機動力になっているのでしょうか。

IMG_1067
これからの女性活躍について。

大学を卒業しベンチャー企業に就職、上場した企業の中で女性初の役員、子会社の社長からMBOで第二創業をしてから起業と、仕事を通じて様々な経験をさせていただきました。
100人規模の部下を抱える立場になってみたときに、世の中にこんなに優秀な女性が沢山いるのに、なぜ女性が活躍する場が少ないんだろう、と思うようになりました。
今は時代の変化と共に、男性でも女性でも「仕事観」が大きく変化してきています。女性でも「仕事は一生していくもの」と考える方が増えてきました。私は大いに賛同します。ただしかし、国策で法律が変わっても、これまでの歴史の上で成り立ってきたことや慣習はガラッと変えることはできません。それ故に、今の日本では様々な課題が出ています。セクシャルハラスメント、マタニティーハラスメント、男性の育休取得などがその一部です。もはや、女性の管理職を3割に上げるというような目先の目標ではなく、日本人の概念を変えるために「教育」という分野で働きかけていく必要性を感じます。それには中学生や高校生の子供たちに対して「人生観」や「仕事観」の醸成の際に「社会への貢献」「男女の役割」といったようなプログラムを作っていく必要があるのではないでしょうか。そのようなことを提言し、何とか実現していくことが、今、私たち世代の経営者やトップに求められていることだと思います。
少々固い話になってしまいましたが、それが今の私の使命感となっている気がします。






  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る